誰も聞いていないはずの放送
機密CASE #002確定

誰も聞いていないはずの放送

回収案件

回収報告 No.002。

今夜の案件は、伝承ではありません。

短波ラジオを一台、用意してください。周波数を合わせる場所さえ知っていれば、今夜、あなたの部屋でも受信できる類の話です。

雑音の海のどこかで、それは今も流れています。

無機質な電子音のチャイム。続いて、女の声。抑揚なく、ただ数字だけを読み上げる。

「アテンシオン……6、7、8、9、2……」

数分間、数字の羅列が続き、やがて放送はぷつりと途切れる。局名のアナウンスはない。番組表のどこにも載っていない。どこの国の、誰が、誰に向けて流しているのか——公式には、世界中のどの政府も「自国の放送だ」と認めたことがない。

こうした正体不明の放送は、世界に無数に存在してきました。愛好家たちは、それをこう呼びます。

ナンバーズ・ステーション——数字局、と。

数字局の歴史は古く、確認されている範囲でも第一次世界大戦の頃まで遡ると言われます。そして冷戦期、その数は爆発的に増えました。東西の空が、数字を読む声で満ちた時代です。

放送には、奇妙な「個性」がありました。

英国領とされる送信元から流れていた局は、放送の冒頭に必ず民謡「リンカンシャーの密猟者」のメロディを流した。愛好家たちはこの局を、そのまま「リンカンシャー・ポーチャー」と呼んだ。

別のある局は、オルゴール風の不気味な音楽から始まることで知られ、「スウェーディッシュ・ラプソディ」の通称がついた。子ども向けのオルゴールのような旋律のあとに、淡々と数字を読む女の声が続く——録音を聞いた者の多くが「人生で一番不気味な放送」と評しています。

そして極めつけは、ロシアの「ブザー」。

UVB-76と呼ばれるこの局は、数字すら読まない。1970年代末から今日まで、ただひたすらに「ブー……ブー……」という単調なブザー音を、24時間流し続けている。年に数回だけ、ブザーが止まり、ロシア語の男の声が短い符号と人名のようなものを読み上げて、また沈黙する。

40年以上。誰に向けて。何のために。

ソ連が崩壊しても、ブザーは止まりませんでした。それどころか、観測によれば送信拠点を移しながら、今もモスクワ近郊のどこかから発信を続けています。

1997年、ある英国のレーベルが数字局の録音を集めたCDボックス『The Conet Project』を発売します。雑音、チャイム、各国語で数字を読む声——それだけを収めた4枚組は、カルト的な人気を呼び、後に有名バンドの楽曲にサンプリングされるまでになりました。

つまり、受信も録音も、現に世界中で行われている。

それなのに、放送の主は名乗らない。半世紀以上、一度も。

各国の電波当局は、原則として違法局を取り締まる立場にあります。しかし数字局が摘発されたという話は、ほとんど聞こえてきません。まるで、取り締まる側が、その正体を最初から知っているかのように。

……回収案件の報告は、ここまで。ここから先は、当局の解剖台で続けます。


解剖記録

今夜の解剖は、いつもと少し勝手が違います。この奇譚、実は答え合わせがかなり進んでいるのです。

数字局の正体は、各国の情報機関が、外国に潜伏する工作員へ指令を送るための片方向通信——これが事実上の定説です。

なぜ断言に近いことが言えるのか。法廷に証拠が出たからです。

1998年、米国でキューバの工作員グループ(いわゆる「キューバン・ファイブ」)が摘発された裁判では、被告らがキューバの数字局からの放送を受信し、復号していたことが立証されました。2001年に逮捕された米国防情報局の分析官アナ・モンテスも、キューバからの短波の数字放送で指令を受け取っていたことが知られています。冒頭の「アテンシオン」で始まる放送は、まさにキューバ発とされる局でした。

インターネットの時代に短波放送とは、一見、時代錯誤に思えます。しかしスパイ技術としては、これが恐ろしく合理的なのです。

1. 受信者が特定できない。 通信やネット接続は「誰が受け取ったか」の痕跡が残りますが、ラジオの受信は完全に受け身。市販のラジオを持っているだけでは、何の証拠にもなりません。

2. 暗号が原理的に破れない。 数字局は「ワンタイムパッド」という方式を使うとされます。一度しか使わない乱数表で暗号化されたメッセージは、数学的に解読不可能であることが証明されています。鍵の紙を燃やせば、メッセージは永遠に闇の中です。

3. 国境がない。 短波は電離層に反射して数千キロ届く。敵国の検閲もファイアウォールも、空の上には存在しません。

つまり数字局とは、超アナログゆえに最強の、現役のスパイ・インフラなのです。各国が正体を認めないのは当然で、認めた瞬間、自国の工作員網の存在を認めることになります。

ただし、解剖しても腑分けできない部位が残ります。

UVB-76のブザーは何のための信号なのか(チャンネル確保説、軍の即応システム説などがあるが未確認)。すでに停波した局のメッセージは、誰に届き、何を実行させたのか。そして——スウェーディッシュ・ラプソディのオルゴールを選んだのは、どんな顔をした担当者だったのか。

数字の意味は永遠に解読できません。ワンタイムパッドとは、そういう仕組みです。世界の空には、正体は分かっているのに、内容だけが永久に謎の放送が飛び交っている。

当局としては、これはこれで上質な奇譚だと考えます。


未回収案件

このコーナーは無料受信者にも公開されます。

案件D:止まらない自動演奏 海外の愛好家フォーラムで、「廃業した遊園地のオルガンが夜中に鳴る」系の投稿が再び増加中。大半は電源の切り忘れと風の仕業で説明がつくが、映像付きの投稿が考察を呼んでいる。当局はフィクション混入率が高い案件として観察を継続します。

案件E:海の底のピーン音 海中マイクが捉えた正体不明の超低周波音「ブループ」。長らく未知の巨大生物説で愛されたが、現在は氷河の崩壊音という説明が定着している。それでも観測記録そのものは実在の謎として一級品。いずれ「海の音」特集で回収予定。

案件F:本物を聞きたい受信者へ 今夜の本編で扱った数字局は、録音アーカイブがネット上に多数公開されています。『The Conet Project』も公式に無料公開されており、検索すれば今すぐ聞けます。ただし当局からひとつ忠告を。スウェーディッシュ・ラプソディだけは、深夜のイヤホンでの受信を推奨しません。


短波諜報冷戦

参照した公開資料

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