未解決CASE #016不明

抱きしめて、叫ぶ女

回収案件

回収報告 No.016。

前号の通信で予告したとおり、今夜は科学の研究室から、アメリカ南部の暗い夜道へ。

アラバマ州の南東、人口三千に満たない小さな町、アブビル。赤土の道に、ぽつりぽつりと家の灯りが落ちる。日が沈み、街灯さえまばらだった時代——この町の子どもたちは、暗くなる前に、走って家へ帰りました。

なぜなら、外には、彼女がいるから。

身の丈、7フィート(約2メートル)を超す、巨大な女。頭は、綿の俵ほどもある。黒い外套に、つばの広い帽子。顔は、影の中。彼女は、地面を黒いスカートで掃きながら、夜の通りを歩いている。

そして、日が暮れてもまだ外にいる子どもを見つけると——背後から、音もなく忍び寄り、長い腕で、ぎゅっと抱きしめる。

抱きしめながら、耳元で、つんざくような悲鳴を上げる。

そして、消える。

名は——ハギン・モリー。「抱きつく(huggin')モリー」。

ハギン・モリーの不気味さは、独特です。彼女は、子どもを食べません。引き裂きません。傷ひとつ、残さない。彼女がするのは、ただ——抱きしめて、耳元で絶叫すること。

痛くはない。けれど、その「無害さ」こそが、かえって怖い。鋭い爪も、血の池もない。あるのは、暗闇から伸びてくる二本の腕と、鼓膜を破るような叫びと、振り向いたときには誰もいない、という静寂だけ。

この伝説が形を成したのは、20世紀初頭。報告される目撃は、1920年代にまでさかのぼります。アブビルで育った者なら、誰もがこの話を知っている。ある地元の住人は、後年こう振り返っています。親が外出を許したくないとき、「ハギン・モリーが捕まえるよ」と言えば、それで充分だった。そして、子どもたちは、本気でそれを信じた、と。

モリーの正体については、町に、いくつもの食い違う物語が伝わっています。当局は、そのどれが正しいとも言いません。重要なのは、なぜこれほど多くの「起源」が生まれたか、のほうだからです。

ある説では、彼女は、わが子を亡くした母親。悲しみに気が触れ、夜の街をさまよい、失った子を探して、他人の子を抱きしめる。

ある説では、彼女は、夜道で殺された女。助けを求めて叫んだのに、誰も来なかった。だから今も、人を掴まえては、叫び続けている。

ある説では、彼女は、ヘンゼルとグレーテルの魔女のように、子どもが太っているか確かめるために抱きしめる、魔女。

そして、ある説では——彼女は、かつてこの地にあった農業学校の女性教師。夜遅くまで出歩く生徒たちを、危険から守るために、自ら「恐ろしいもの」になって、街から追い立てた。

四つの物語は、姿かたちこそ違え、ひとつの同じ機能を、共有しています。

子どもを、夜の闇から、家へ帰すこと。

……回収案件の報告は、ここまで。ここから先は、灯りをつけて、当局の解剖台で。


解剖記録

今夜の解剖は、これまでと毒の種類が違います。台に載っているのは、未解決事件でも、誤認された自然現象でもありません。最初から「作り話」だと、町の誰もが知っている怪談です。それでも、当局がこれを回収するのは——「作り話だと分かっている怪談が、なぜ百年も生き延びるのか」という問いが、人間について、何かを教えてくれるからです。

ハギン・モリーが、アブビルに実在する伝承であること。20世紀初頭に成立し、世代から世代へ語り継がれてきたこと。その主たる役割が、子どもに夜間外出を控えさせる「警告」だったこと。そして今、町にはモリーの名を冠したレストランがあり、土産物が売られ、映画やゲームの題材にもなって、町の誇りと観光の核になっていること——ここは、地元の証言と記録に残る事実です。

霊としてのモリーが実在した証拠は、ありません。当局は、そこを偽りません。けれど、この案件で問うべきは「霊がいたか」ではない。「いない霊が、なぜこれほど役に立ったか」です。

ここで、民俗学の概念をひとつ。ボギーマン(子取り鬼)、そしてそれを使った教訓譚(カウショナリー・テイル)です。

世界を見渡すと、ハギン・モリーによく似た存在が、互いに無関係な文化の中に、独立して何度も現れます。スペイン語圏の「エル・ククイ」。ヨーロッパの「袋男(サックマン)」——言うことを聞かない子を袋に入れて連れ去る。日本の秋田の「なまはげ」——「悪い子はいねがー」と叫びながら家々を回る。

これらは偶然の一致ではありません。「子どもに危険な行動をやめさせる」という、どの時代どの土地の親も抱える課題に対して、人類が何度も同じ道具を発明したのです。その道具とは、「怖い何かが、見ている」という物語。

幼い子どもに、「夜の通りは交通事故や悪い大人がいて危ないから帰りなさい」と説いても、抽象的すぎて響かない。けれど、「暗い道にはモリーがいて、捕まると抱きしめられて耳元で絶叫される」と言えば——その恐怖は、具体的で、忘れがたく、即座に足を家へ向かわせる。ルールを、外部の怪物の姿として「見える化」する。これが、教訓譚という社会の技術です。

ここで、もうひとつ。心理学でいう外的統制から内的統制へ、という移り変わりがあります。幼い頃、子どもはモリーが怖くて家に帰る(外からの強制)。だが成長するにつれ、モリーは信じなくなっても、「夜遅くに一人で出歩かない」という習慣だけが、内側に残る。怪物は、いわば内面化された規範の、最初の運び手なのです。役目を終えれば、本体は忘れられてよい。残すべきは、行動のほうだったのですから。

種を明かします。モリーは、しつけの道具でした。親たちが、子を夜から守るために発明し、磨き上げてきた、優れた行動制御の装置。霊はいません。

——だが、ここで終わらないのが、当局の流儀です。最後に、もう一度、あの「起源の物語」を思い出してください。とりわけ、最初の一つを。

わが子を亡くした母親が、失った子を探して、よその子を抱きしめる。

考えてみれば、これは恐ろしく残酷で、同時に、恐ろしく優しい構造をしています。親が、子を夜の闇に奪われることを、何より恐れる。その「子を失う恐怖」そのものが、姿を得て、モリーになった。子を失った母の亡霊が、他の子を捕まえて家へ帰す——つまりモリーとは、親たちの「うちの子だけは、夜に消えてほしくない」という祈りが、化け物の衣装を着たものなのです。

抱擁は、恐怖の形をしています。けれどその芯にあるのは、暴力ではなく、「帰っておいで」という、声にならない呼びかけだった。子どもたちが暗闇で本当に怖がるべきだったのは、霊ではなく、夜の道に潜む現実の危険のほうで、モリーはその名づけえぬ危険に、抱きしめるという、いちばん親しい仕草の仮面をかぶせた。

種を明かしても、寒さは消えません。むしろ、温度が変わる。あの巨大な女が背後から伸ばす腕は、あなたを連れ去る腕ではなく、あなたを家に帰すための腕だった。世界中の親が、別々に同じ怪物を発明し続けてきたのは——子を思う気持ちが、どの時代も、それほどに切実だったからです。当局はそう記録します。今夜も、どこかの暗い通りで、誰かの「帰っておいで」が、化け物の形をして、立っているのかもしれません。


未回収案件

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案件AT:悪い子はいねがー、なまはげ 秋田県男鹿半島に伝わる「なまはげ」は、大晦日に鬼の面で家々を回り、子どもを戒める実在の民俗行事。2018年にはユネスコ無形文化遺産にも登録された。ハギン・モリーの東洋の親類として、「怖がらせるしつけ」の文化比較で、いずれ本編で回収予定。

案件AU:袋に詰める男、エル・ククイ スペイン語圏やポルトガル語圏に広く伝わる子取り鬼「ククイ/ココ」。子守唄にまで歌い込まれ、何世紀も親から子へ受け継がれてきた実在の伝承。怪物が国境を越えて似通う現象の好例として記録します。

案件AV:ドアの外のモリー 動画投稿サイトで、「アブビルで深夜に外を歩いたら、背後で女性の悲鳴が録れた」系の連作が拡散中。実在の町と伝承の語彙を借りた演出企画で、語りの完成度が高い。当局はフィクション枠として観察を継続します。


亡霊伝承怪異

参照した公開資料

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