回収案件
笑いが、村を焼いた — タンガニーカの笑い病
回収報告 No.020。
前号の通信で予告したとおり、今夜は16世紀の路地から、20世紀の教室へ。
1962年1月30日。東アフリカ、タンガニーカ(現タンザニア)。ヴィクトリア湖の西岸、ウガンダ国境にほど近いカシャシャ村の、教会が運営する女子寄宿学校。
午前の授業の最中、三人の少女が、笑い始めた。
たわいない笑いのはずでした。けれど、止まらない。先生が困って鐘を鳴らし、生徒を外の小さな広場に集めた。落ち着かせるつもりだった。だが、笑う三人を見た他の生徒たちが——次々と、同じように笑い崩れていったのです。
それは、笑いの形をした、何かでした。
159人のうち、95人
最初の発生は、48日間続きました。1月30日から3月18日に学校が閉鎖を余儀なくされるまでに、159人の生徒のうち、95人が「笑い」に取りつかれた。年齢は、12歳から18歳。
ここで、当局は記録を正します。この出来事は「笑い病」という、どこか牧歌的な名で呼ばれてきました。けれど、唯一の同時代の医学報告——1963年、ランキンとフィリップという二人の医師が記した『タンガニーカ・ブコバ地区における笑いの流行』——が描く実相は、まるで違います。
症状は、笑いだけではなかった。笑いと、泣き叫びが、交互に襲ってきた。生徒たちは、じっとしていられず、あてもなく走り回った。強い恐怖を訴え、「頭の中で、何かが動いている」と口にする者もいた。取り押さえようとすると、暴れて抵抗した。瞳孔は開き、反射は過剰になっていた——けれど、熱はなく、体に異常は見つからない。
これは、楽しい笑いの伝染ではありません。集団規模の、パニック発作でした。「笑い病」という名前そのものが、その下にある苦しみを、覆い隠していたのです。
教師には、移らなかった
医師たちは、あらゆる原因を疑いました。ウイルス。毒。食べ物。脊髄液を採って調べ、食品を分析した。——何も、見つからなかった。体には、どこにも、病気がない。
そして、決定的な手がかりがありました。症状が出たのは、生徒だけ。同じ建物で、同じ空気を吸い、同じ食事をしていた教師たちには、ただの一人も移らなかったのです。空気でも水でも食べ物でもないものが、生徒から生徒へだけ、伝わっていた。
学校は、降参しました。3月18日、生徒たちを、それぞれの村の家へ帰した。
——それが、最悪の一手でした。
山火事のように
家へ帰された少女たちは、村へ、笑いを連れて帰りました。
ある生徒の故郷の村ンシャンバでは、約一万人の住民のうち、二百人以上が同じ症状に倒れた。ブコバ近郊の別の女子校では、154人中48人。そこから戻った生徒の村で、家族や隣人へ。波紋は、村から村へ、まるで山火事のように燃え広がっていった。最終的に、十校以上が閉鎖に追い込まれ、影響を受けた人は、およそ千人にのぼったとされます。流行が完全に燃え尽きるまで、半年とも、一年半以上とも言われます(終息時期は記録によって幅があります)。
笑いが、村を焼いた。誰一人、楽しくないのに。
……回収案件の報告は、ここまで。ここから先は、灯りをつけて、当局の解剖台で。
体が悲鳴を上げた。声を、持たなかったから
今夜の解剖台に乗るのは、前号 No.019 の踊りのペストの——四百年後の、双子です。同じ機構が、16世紀ヨーロッパの街路から、20世紀アフリカの教室へ、姿を変えて現れた。けれど今夜は、前号とは違う角度から、メスを入れます。
確定していること
この出来事は、伝説ではありません。1962年1月30日にカシャシャの女子寄宿学校で始まり、159人中95人に広がり、医師の検査で器質的な病気が一切見つからず、学校が閉鎖され、帰宅した生徒を介して周辺へ波及したこと。十校以上が閉鎖され、約千人が影響を受けたこと——唯一の同時代医学報告と、その後の研究に記録された事実です。
そして、もうひとつ確定していること。この苦しみは、本物だった。仮病でも、ふざけていたのでもない。少女たちの体は、本当に笑い、本当に泣き、本当に震えていた。
概念の解剖:集団心因性疾患——「声なき者」の体が語るとき
ここで、概念を、前号からさらに一段深めます。集団心因性疾患。No.003のこっくりさんで導入し、No.019の踊りのペストで「文化的スクリプト」を掘った、あの現象です。
前号で見たのは、「症状は本物だが、感染源も毒もなく、共有された恐怖と物語によって人から人へ伝播する」という骨格でした。タンガニーカの事例は、そこに、決定的な一枚を加えます。それが、誰に起きたか、です。
考えてみてください。倒れたのは、独立直後の混乱期にあった国の、厳格な寄宿学校に預けられた、12歳から18歳の少女たち。一方、まったく無傷だったのは、彼女らを指導し、管理する立場の、教師たちでした。
これは、偶然ではありません。研究者クリスチャン・ヘンペルマンらは、この出来事を「運動型」の集団心因性疾患と分析し、こう指摘します。集団心因性疾患は、社会の中で力を持たない人々に、起きやすい。抑圧的な環境、過剰な期待、そして自分の苦痛を言葉で訴える術(すべ)を持たない立場——そういう条件のもとで、出口を失った強烈なストレスが、体の症状という形で、噴き出してくる。
1962年、タンガニーカは独立を勝ち取ったばかりでした。社会全体が激変し、教師や親からの期待は跳ね上がり、少女たちはその重圧の最前線にいた。声を上げる権利も、逃げ場も持たない者たちの、限界まで張り詰めた緊張。それが、最初の一人の発作を引き金に、同じ立場の体から体へ、連鎖した。
つまり、集団心因性疾患とは、しばしば——声を奪われた者の体が、本人に代わって上げる、悲鳴なのです。笑いと泣き声が交互に襲ってきたのは、象徴的ですらあります。それは、喜びでも悲しみでもない、行き場のない感情そのものの、噴出だった。
善意が、火に油を注ぐ — 繰り返される構図
ここで、前号と不気味なほど重なる一点に、触れておきます。
ストラスブールでは、当局が「踊りきれば治る」と舞台と楽士を用意し、伝染を増幅しました。タンガニーカでは、学校が「家に帰せば収まる」と生徒を解散させ、伝染を拡散させた。一方は集め、一方は散らした。手は正反対なのに、結果は同じ——権威の合理的な対処が、流行を広げてしまった。
なぜなら、集団心因性疾患の燃料は、病原体ではなく、人と人のつながりだからです。感染症の常識で対処すると、しばしば裏目に出る。No.019で「権威が台本を公認した」と書いたのと、根は同じです。見えない伝染を、見える方法で止めようとすると、火に油を注ぐことがある。
種を明かしても残るもの
種を明かします。呪いでも、毒でも、原爆実験の汚染(当時、一部の村人はそう疑いました)でもありません。あったのは、力を奪われた少女たちの、行き場のない苦しみと、それを伝える、人と人との近さだけでした。
——だが、ここで終わらないのが、当局の流儀です。「結局は集団心理だった」で、片づけられるでしょうか。
この事例の本当に冷たいところは、苦しみが、笑いの顔をしていたことです。私たちは「笑い病」と聞いて、つい微笑ましいものを想像する。けれど、その笑いの正体は、悲鳴でした。声を持たない者が、言葉にできない苦痛を、自分でも制御できない体の動きとして——よりにもよって、笑いという、いちばん幸福に見える形で、噴き出すしかなかった。これほど残酷な仮面が、あるでしょうか。
そして、当局がこれを「回収」する理由が、もう一つあります。この出来事を記録したのは、たった一本の医学論文でした。後年、本来あるべき公的な記録——保健省の年次報告や、学校に対して起こされたとされる訴訟の記録——の幾つかが、見当たらないと指摘されています。千人を巻き込んだ出来事の紙の痕跡に、穴が空いている。だからこそ、当局は、この笑いを棚に並べておく。
種を明かしても、寒さは消えません。今この瞬間も、世界のどこかの教室や工場で、声を奪われた誰かの体が、本人の知らぬところで、悲鳴を上げる準備をしている。形が「笑い」でないだけで。当局は、あの少女たちを笑いません。そう記録して、今夜の解剖を終えます。
未回収案件
今週、世界がざわついた小さな奇譚
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案件BF:ル・ロイの少女たち 2011年、米ニューヨーク州ル・ロイの高校で、十数人の女子生徒に突然、チック様の不随意運動が連鎖的に現れた。徹底した医学検査でも器質的原因は見つからず、転換性障害・集団心因性疾患と診断された。SNS時代に起きた「現代の笑い病」として、いずれ本編で回収予定。
案件BG:鳴く尼僧たち 中世ヨーロッパの修道院では、尼僧が一斉に猫のように鳴いたり、噛みついたりする集団現象が記録に残る。閉鎖的で抑圧的な環境で起きた、宗教史上の集団心因の古典例。タンガニーカと同じ「声なき者の体の反乱」として記録します。
案件BH:笑う音声ファイル 動画投稿サイトで、「ある音声を聴くと笑いが止まらなくなり、聴いた人に転送せずにいられなくなる」系の連作が拡散中。実在の史実の語彙を借りた創作(ネット怪談)で、語りの完成度が高い。当局はフィクション枠として観察を継続します。

